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今年(2006年)ノ☆まとめ。~夢の在処~<バカ

「Web2.0 なんて飾りだよ・・・偉い人にはそれがわからんのです」

 極めて私事的な思考形態及び行動状況を第三者にウェブログ(通称:ブログ、blog = Weblog)を公開する事に何の意味があるのか、いや、意味を求めることに意味を求める事が意味が無い行為である事は昔のギリシャの哲学者達や近代哲学の巨匠達が人生を棒に振って捧げて追求されても、尚未だ結論が出ていない現状であるので、ハルヒ神キター(ハルヒ公式/解説/ドレンド)などと訳の分からない事を書いている私(ここの作者=前佛)も同様に、まぁごくごく普通の人生を送っていたはずであったが、約3年前に"想定外"の事態が発生してしまった。まるでワールドカップ柳沢の「急にボールが来たので」のような事態である。が、まぁ、事態は収束し、この時系列平面上では通常空間は安定しつつある。というわけで、誰が読むか知らないが、自分のアホな思考回路を記録する手法として、ここに電子文章として記録を残す。(←前置きが長いよ)

 今年を簡単にまとめると 『 不 確 定 要 素 』 の多すぎる年だ、と言える。間違いない。どのような状況だったか、については、google トレンドのグラフと同様に私の精神状況も推移した。

涼宮ハルヒのgoogleトレンドグラフ

 たぶん、私の近況を知っている方はこのグラフの推移をみると「あー」と納得する事間違いないだろう。3年前に発生した想定外の状況により沈んていた状況が今年の春突然改善され、あとはグラフのように現在は安定した推移を辿る。

 それでだ(何が?)、不確定要素によって今年は振り回されすぎた。正直自分の知らない所で色々と物事が推移していったようだった。なんだかなー。旧日本海軍がミッドウェイ開戦で決定的な失敗を犯した点がある。それは情報力を軽視しすぎた事。日本の暗号電信はアメリカに筒抜け、このミッドウェイ作戦において、日本は戦う前から既に負けていたのだ。これは教訓。情報を適切に判断し、時に、風林火山の如く、臨機応変に対応しなくてはいけない。そう感じさせられる年でもあったし、おそらく来年もそうであろう。

 今年(2006年)および来年(2007年)は人生において大きな転機になるだろう。間違いない、と確信している。そして、今回、大きな選択肢に私はたたされているわけではあるが、私は決して妥協しない決意でいる。SaaS(Software as a Service) ではないが、人生には譲れない時が今まさにこの時だと思うからだ。人間はよく、物事をやって後悔する事と、やらなくて後悔するほうがどっちがいいか、という例えを用いる。どちらが良い? もちろん、前者であろう。

 今年を振り返ると、来年に向けて、背水の陣というか何というか、不退転の決意で望まなければ、たぶん、死ぬときに後悔すると思う。なぜ、こだわるのか? それは、一度、人生の失敗フラグを立ててしまったから。望むべくしてそうなった結果であれば納得も出来るのだが、今思い出しても、あの時の失敗は自分の人生最大の失敗であり、唯一の後悔。

 その失敗というのは、約10年前、以降行は自分向け文章なので分かる人は分かるかもしれないけど、分からない人は分からないと思う、それでいい。で、10年前の失敗というのは、事態の推移を見守るだけで何もしなかった、という事。具体的には、卒論研究の配属先での問題だ。とある希望する研究室の定員があふれているという。それは、私がどうしても入りたいと思っていた所。当時の教官は、卒業研究では私に違う研究室に配属しろという、なぜなら、そのほうが視野が広がるから、とのことで。しかし、その研究室は自分にとっては畑違いであり(同じ系列の"電気"に属する研究室であったが、私が希望したのは"情報工学"であり"電子回路"のほうではなかった)

 で、私は軽い気持ちで、その時は、その安易な決断とも言えない単なる譲歩であり妥協により、致命的なダメージを受け、失意の1年間を過ごすことになるとは考えてもいなかった。希望ではなく専門でもない研究室への配属は、正直、情熱という名のモチベーションを私から奪っていった。何もやるきが起きなかった。希望の研究室に配属にならなかったことで、ここまでダメージを受けるとは考えもしていなかった。研究には気が入らず、大学編入試験への集中力も失っていた。でも、その時は既に選択に失敗したな、と、かなり意欲を削がれた。結果として大学編入試験は落ち、いや、これは自分の実力がなかっただけだ、責任転嫁しない。とにかく、迂闊な選択により、やるせない1年を過ごすことになった。私は表面上は普通にバカを装っていたので、誰も気がつかなかったろう、と思いたい。

 つい最近になって知ったことだが、研究室の配属問題で呼ばれたのは私だけだった。私であれば譲歩するだろうと読んだのだろう。その読みは正しかった。その教官は翌年違う所に転職となり、その後、今日に至るまで会う機会はない。今となってはその真意は不明ではあるが、状況の推移を見守り何もしなかったというのが失敗だったと猛省している。人生における、確実な分岐点になった。

 「何もしなかった」事が「不本意な自分」を作った。こんな自分=私を私自身が許すことが出来なかったし、それは今もまだ許せない。過去に拘るつもりは微塵はない、が、現状、私の置かれている状況というのが、偶然にも時間平面上の10年前に存在した私という存在と、今現在の存在が重複してしまっているようで、正直歯がゆい。一時の気の迷いというのもあったであろう。

 ここで、戦争という状況を仮定してみよう。当初置かれていた状況や情報からは、戦線を広範囲に展開し、敵領域に積極的に攻撃することを目標としていたかもしれない。だが、時が変わり、戦略的に補給が無い、武器弾薬も無い、相手の戦力は当方を遙かに上回るという戦況があるとしよう。この場合は、戦略上撤退して、防衛ラインを後退しても戦力の温存を図るのが論理的であろう。だが、当初の戦略を余りにも重視しすぎて、前線の状況を無視して戦況を進める事は、戦略的には致命的になりかねない。目的が手段になってしまうという状況だ。撤退すべきと思ったら、朝令暮改であってもよいではないのではないか。しかし、世の中というのは往々にして自分より「上位」の存在に妥協するケースが多いのではないのだろうか。そういえば、"dog year"という言葉、つまり、時代の進歩は格段に飛躍しており、かつての1年間の時間の経過が、今では3ヶ月程度になってしまった、というのは過去の事なのだろうか?今も"dog year"というのは現在進行形で推移しているのであり、それに気がつかないというのは過去という名の亡霊に取り憑かれているからだろうか、などと考えてみたり。ま、別に私は焦ってはいないし、死に急いでいるつもりもない。

 変なプライドや拘りなんか必要ではない、と、私は思ってる。そして、そうあるべき、そうすべきだ、というのが今年考えに考え抜いた結論のうちの1つである。自分が何もしなかった事が"後悔"などという"last regret"なんてものを造ってしまった。これは私の、自分の責任だ。私はもう、同じ過ちを二度と繰り返したくもない。勿論、人の意見も聴くけどけど、最後に決めるのは自分だもの。あとは、出来ることをやって、前に進むしかない。

 私は、私が思う『 お も し ろ い 』人生を送りたいと思っている。『 お も し ろ い 』人生を実現するためには、今年私が置かれた、今私が置かれる、来年私が置かれるであろう・存在するであろう状況において、自分が妥協するという選択肢はあり得ない。と、今私は思っている。なんて自分勝手な奴だ、と私自身この点に対しては辟易している。この世界はろくでもないだと? 私はそうは思わない。世界がどうであれ、自分が自分の事を自分の意志で決定して何が悪い。私はつまるところ、何もしない妥協によって"おもしろくない世界"に住むことになるであろう自分という存在は許せない。

 そんな中、不確定要素がいくつかも出てきて、正直困惑する所もあったのだが、とにかく、来年は私が自分で決断を下し、私の、私自身が望む世界に作り替えていくことが来年の課題であろうと確信している。例え不確定要素が存在しようとしても、私は"last regret"などという感情は、今抱えている1つで十分だ。last は last であって、それは update される last なぞ、私は望まないし、そんな人生なんてつまらないと思う。

 来年、願わくは、私の望む 『 お も し ろ い 』 世界が実現する事を。

 そして、

 世界が平和になりますように。
 全ての子供達に未来を。

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2006年12月31日 18:03に投稿されたエントリーのページです。

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