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「格差社会の是正」とは「日本の赤化」ではないのか

 ちょっと久々に頭の体操がてら。まじめな話題でも。

 今年の流行語大賞の候補にもなった『格差社会』。世の中はいざなぎ景気を超える好景気と統計上は豊かなのに、一般庶民の懐は寒く、不景気といわれる。その一方で儲かっている者もいるから問題だ、これは是正せねばいけない、というのが今年一年、一部マスコミの密かな活動目標ではなかったのだろうか。

 今更ながら、あえていおう、「格差社会はどうして悪いの?」と。

 なぜなら、人類の歴史において『格差社会』の存在しなかった時代はあったであろうか。原始時代においても力(武力・富力)という格差は存在しており、力のある部族が生き残り、力のない部族は滅亡するか他部族に吸収されてきたであろう。中国近辺の歴史を観ればよくわかる。

 安易に『格差社会』と、さぞかし大問題があるかにマスコミは見せかけているように思われるが、実態は『日本の赤化』=『共産化』を狙う勢力による宣伝・諜報活動の一環と思ざるをえない。バブル期の1980年代後半ですら、富める者は富み、貧しき者は貧しかったのだから。あきれるのは民主党ですら、小泉・安部政権への攻撃材料(特亜三国問題については中国・韓国に至っては比較的冷めた関係から"なまぬるい"関係に戻ったからだ)を失ったため、格差社会をキーワードに用いて党首討論でも用いるようになってしまった。

 彼らの主張は一環している。

 『格差社会はいけない。是正しなければ!』

 だが、この言葉には何故か嫌悪感を覚えずにはいられない。

 この言葉の意味するところ、主張は『共産化』しかあり得ないからだ。しかも、旧ロシア・東欧・中国のような共産党による共産化ではなく、真の理念に基づいたマルクス・レーニン主義のそれをさすのだが。しかし、彼らの主張する格差社会の是正とは、未だ日本の共産化を目指す勢力は本来の理念のほうではなく、共産党支配のような一部勢力による人民の平等支配を理念においているような節がみられる(そのあたり理想と現実の妥協とかは70年代の内ゲバとかに現れてましたが)。中国は民主化を停滞させたまま、共産党という権威で国民を押さえつけている状態だ。北朝鮮については問題外。この点、団塊の世代の皆様方には"総括"していただきたいのだが、ま、いいや。改めて書く。

 一番問題なのは格差社会が悪いとして、じゃ、どうしたらいいのか?という点を提示しない点だ。マスコミや評論家は単に批判するだけで具体案を提示しない。これは子供の喧嘩と同じである。卑怯だ。なぜ提示しないのか、それは日本の共産化が真の目的であるから、とにかく現政権が失墜さえしればそれでいい、単にそれだけなのだろうと思われる。

 本当に問題なのは「頑張っているのに報われない社会」に日本がなってしまったことではないだろうか。企業でいえば、どれだけ収益を上げても法人税によって、収益の半分は国に徴収されてしまう。個人でもしかり。ある一定の金額を超えると、地方県民税の負担率が格段に変わってしまうのはいかがなものか。扶養者控除や厚生年金負担も同様の問題がある。一律に%で負担額を決めるのではなく、個人の各種税負担等については累進課税方式に改めたほうがよいのではないか。そうしておけば、今年四月の法改正によって「まじめに厚生年金をおさめてきていたのに、400万の収入を超えるから、健康保険の負担が40万になってしまう」という馬鹿馬鹿しいことは起こらないであろう。真面目に負担をしてきたのに、馬鹿をみた、今年はそんな人たちがいっぱいいたようだ。一方で、個人でも頑張って稼いだのに「累進課税」によって膨大な税金を納めなくてはいけなくなる、というのはよく聞く話でもある(野球選手や芸能人は特に有名だけども)。個人・企業に関しては「累進課税」一本ではなく、たとえば NPO/NGO 法人なり、国が認めた国民もしくは世界のための公益団体に対する寄付は「経費」として処理できるような仕組みを作ることによって、社会に利益が還元できるシステムができる。特に難しいことを考える必要はないと思うのだが。

 どこかのマスコミの言葉を借りれば焦臭い(きなくさい)感じがしてくる昨今だが(さすがに軍靴の足音は聞こえないか)、マスコミの情報操作には瞞されないよう、日々注意する必要があるだろう。いずれ、新聞・テレビの次はインターネットでの言論誘導も行うのも効果的だと気づいて来るのは時間の問題だからだ。

 格差社会の是正という錦の御旗のような言葉に踊らされてはいけない。自らの目(まなこ)で、真実が何なのか考え、行動に移さなければ、私たちの未来にあるのは、後戻りのできない絞首台への階段しか残されていない。

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2006年12月08日 22:01に投稿されたエントリーのページです。

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