「残業代ゼロ法案」としてヤミに葬り去られようとしている法案。日経 BP ビジネススタイルに興味深いニュース解説が掲載されました。
- ホワイトカラーエグゼンプションは「残業代ゼロ」ではない - ビジネススタイル - nikkei BPnet
この中でホワイトカラー・エグゼクティブ制度の事を「高度専門職年俸制度」と置き換えている事に好感が持てました。これは巧く日本語訳されていますね。また、解説の中では私が下手で正しく表現できなかった「どうして国会で肝心な所が論議されなかったのか?」についても触れられていますので、法案賛成・反対問わず一読されることをおすすめします。
ところで気になったのは3ページ目の記述です。
『年収が高い人に制度を導入するということではなく、高度な専門職として働く人の年収はそれなりに高くなると思う。そして、そのような仕事の性格や給与水準は業種や企業規模、職種によって異なる。年収一律で決めるのではなく、そこは各企業の労使で判断できる柔軟性が必要である。』
この記述、なにか関連性があるような気がして暫く考えてました。そうです、『格差社会』というキーワード(どちらかというと、もうパズワードだと思います)を思い起こしました。つまり、この制度が本来の趣旨通り「働くべくして努力する人が報われる社会を作るための法律」として機能してしまうと、困る層が出てしまう(例えると旧来は非平等的な取得を得ていた層)のではないか、という穿った見方をしたくなってきてしまったのです。なぜでしょう。
一見すると無関係と思われる『ホワイトカラー・エグゼクティブ制度』と『格差社会』ですが、マスコミの基本論調としては「どちらも反対」です。視点を置き換えてみると、ホワイトカラー・エグゼクティブ制度を導入することにより、本来評価されるべき人達が高収入を得ることは所得格差社会を招くので、それは許されざる事である。であるからして、ホワイトカラー・エグゼクティブ制度を法制度化するなんてとんでもない、だから潰さなくては、というマスコミによる悪意すら感じてしまいます。
よくよく思い出してみると、ホワイトカラー・エグゼクティブ制度についてはマスコミは論議すら避けてきたのではないでしょうか。論議すらさせない、そう、まるで核武装や憲法改正について論議すら許さないという風潮の事です。とにかく悪いものは悪いとレッテルを貼ってそれで終わり。マスコミの"マス"とは大衆を指す言葉のはずなのに、今となってはマスコミのマスコミによるマスコミのための報道になってしまっている可能性があります。そこに便乗している政治家や企業など何らかの利害関係も絡んでいる可能性すらあるのですから。
今となっては忘れ去られた言葉ですが「メディア・リテラシー」を今一度考え直す良い機会かもしれません。日本の商用インターネット創生期にはマスコミが一斉に「メディア・リテラシー」を叫んでいたのに(私はもうネット側の人間だったので叫ばれる側でしたけど)なんとも皮肉な事です。
これだけ情報がある時代です。自分で情報を集め、判断して、発言をしてゆく。そういった姿勢が求められる時代になってきたのは良いことだと思います。私たちは、マスコミやネットに漂う表層的な意見(あるいは主張)をそのまま受け取るだけでも、自分自身が考えたように錯覚してしまっているような気がします。今こそ、マスコミやネットでの発言の真意を捉える力が個人に求められているように思います。そして、発言する側は、例え個人であっても出来うる限り他人の言葉を使わず自分の頭で考えた自分の言葉を用いる必要があるのではないでしょうか。
関連記事:
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- 『格差社会』という言葉はマスコミによって増殖された妄言(目指せ!日本の赤化)ではないのか?という疑問。
コメント (3)
Hello. And Bye.
投稿者: XRumerTest | 2014年08月17日 20:59
日時: 2014年08月17日 20:59
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投稿者: StephenWag | 2014年09月14日 23:18
日時: 2014年09月14日 23:18
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投稿者: Vernongali | 2014年09月17日 06:42
日時: 2014年09月17日 06:42