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Q&Aサイトと日本のコミュニティ文化を料理する

こうですか?! わかりません>< (本稿は書きかけです。)

「こうですか、わかりません><」
 とある技術系のメーリングリストで流れた、回答者に対する質問者の一言。何気にネタではないかと思うのだが、至って質問者は本当に分かっていないことがある。この後のやりとりについては読者の皆様の想像にお任せする。

 日本では「人力検索はてな」「OKWave」をはじめ「Yahoo! 知恵袋」など代表される Q&A サイト、若しくは質問系サイトが結構繁盛しているように思う。私は分からないことがあると google で検索することがおおいのだが、このような Q&A サイトが検索結果にひっかることが頻繁だ。海外では掲示板やメーリングリストが検索結果として表示されることが多いのにだ。なぜ、日本ではこれほど Q&A サイトが隆盛しているのであろうか。

 Q&A サイトの仕組みは単純だ。匿名の質問者が質問を投げ、それを見た匿名の回答者が回答する。質問によっては直(す)ぐに回答が帰ってくることもあれば、なかなか的を射ない回答しか得られないこともある。そこには回答する義務はなく、全(すべ)ては参加者の意思次第でサイトが運営されている。質問は日常生活に関(かか)わるささいなことや個人の悩みだけでなく、専門的な機械技術に関する話題など、ジャンルは幅広い。

 しかし、私から見れば Q&A サイトは質問者にとって体のいい道具でしかない。只(ただ)の道具にしかすぎないと思うのだが、思い過ごしであろうか。いずれのシステムでも回答者の評価や、ポイントをわたすなど、回答者のモチベーション向上を図ろうとしている所がポイントである。回答者自身が評価されるという行為によって、回答者のある種の承認欲求を満たすことが繁盛に繋(つな)がっているような気もする(ここが日本らしいといえばそうなのだが)。

 敢(あ)えて言おう、回答者は質問者に対する「道具」でしかない。そこで交わされるのは無味無感な情報のやりとりでしかない。質問者・回答者も単に情報のやりとりと割り切って、それ以上の交流を求めていないような気もする。そこにはコミュニティ(社会)は存在するように見えて、全く存在していない。かつてメーリングリストやパソコン通信の掲示板やフォーラムに見られた交流というのは一切ないのだ。

 ネットワークに対する多くの日本人の誤った理解が、このようなネットワークの道具化を推し進めたのではないだろうか。日本では「ネット」=「仮想社会」という考えがマスコミによって10年前に論調はつくられた。今では「ケータイ」の延長のようなものと捕らえられて、 単に便利な「道具」としか認識されていない

 もちろん、mixi2ちゃんねるではコミュニティが形成されているから良いのではないか、という意見もあるだろう。だが、私はそうは思わない。現在の日本のコミュニティは日本の伝統的な村社会の延長でしかない。所謂(いわゆる)「和を持って尊しとなす」日本文化である。意見の対立は歓迎されず「空気を嫁(読め)」と馴(な)れ合いのみが求められるのだ。対立者は一方的に「荒らし」として断罪され、コミュニティは見えない空気によって変化を押さえつけられる。

 こういった日本独特の雰囲気を重視する余り、日本では海外で見られる実名によるネット上での情報発信がないと思う。現実社会をよりよくするためのネットワークとしてのコミュニティ形成の動きがほとんどないのである。
 だから逆に、インターネットは単なる「道具」である、と、単純化して捕らえることで、インターネットが出ても我々の生活は安泰であると、日々の生活に隠遁(いんとん)としているのである。そこに変化が起こってきているのにも気がつかずにである。

 目を転じると、日本という国は平成に入ってから年々酷(ひど)い状況になってきてきている。各種の経済問題のみならず、日本という社会そのものがおかしくなっている。このような問題を対処するために、私はネットワークを使った可能性が、今でも社会を変えていく原動力になると思っている。

 江戸時代の幕末、日本は空気を読む文化に支配されていた。しかし、それではいけないと攘夷(じょうい)派だった明治維新の志士たちは、あえて戦いを起こしてでも日本という国をかえて立ち上がった。そのパワーは国民全体に波及し、勢いは急激に当時の先進諸国(列強)に追いつき大国と戦争をして張り合えるまでにのし上がった。そして、現在の経済的に恵まれた国ができ、今の我々の生活がある。

 こういったネット上でも空気を読む(しかも必要以上に)流れが、Q&A サイトの隆盛に繋がっていると私は思う。日本的馴れ合いネットワークでは、時に単なる質問ですら場を見出す行為と捉えられることがあるからだ。

 正直、ネット上で空気を読めなんてバカじゃないのか。別に日本的な村社会コミュニティで発言していても、それはそれで当人達は納得したり論議で得られるものはあるかもしれない。だが、社会は何も変わらない。折角(せっかく)このような便利なネットワークがあるんだから、正々堂々とネットで発言し、本気になって社会を変える方に我々は動いていくべきではなかろうか。

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2008年01月20日 16:40に投稿されたエントリーのページです。

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