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コミュニティ 】 2007年01月05日 20:13

mixi の internal server error

 今日の午後8時頃、何気なく mixi を覗くと、どうやら鯖(サーバ)がダウンしているようだった。  興味深かったのはマシン名。  なになに、確認できたのは次の3つ

- andaman
- milea
- metoma

 なんだ、割と普通の名前だった(って何か期待してたのか)。
 うーん、さすが上場企業、サーバ落ちても抜かりは無いな。

 Port 8080 ということは、ロード・バランサ(負荷分散装置)を使っているんだろうけど、頼むよ、『 Internal Server Error 』は無いだろうよ・・・mixi。たぶんデータベースが落ちたか何かが原因なんだろうけど、『 Internal Server Error 』ですよ!(苦笑

 せめて、Apache の httpd.conf で ErrorDocument ぐらい設定しておきましょうや・・・『 只今混雑しております。ご迷惑をおかけいたしますが、しばらくお待ちください。 』・・程度に。。サーバ管理者の端くれである私でも、これぐらいはしますよ、商用サービスなら・・・。それとも「想定外」ですか? Perl が悪いと言っているいる訳でもないんです、私も Perl がメインですから(う、時代遅れ?)。

 別に mixi さんに恨みがある訳ではないのですが、もうちょっと、そのあたり詰めを良くされたほうが、サービス向上に繋がると思いますよ。

コミュニティ 】 2007年01月17日 05:35

 去年(2006年)流行したインターネットを駆けめぐった言葉に SNS (Social Networking Service) = ソーシャル・ネットワーキング・サービスが挙げられます。その尤もたるものが、日本では mixi の株式上場により市場が沸いた事で社会的にある程度認知されたといっても構わないのではないかと思います。

 ですが、私は「招待型」の SNS コミュニティには、どうも閉鎖的なイメージがつきまとうのは気のせいでしょうか。招待型の利点(メリット)は「友達の友達」が集まるコミュニティだから「信頼できる」という事があげられます。信頼できるというのは、コミュニティ上における掲示板(メッセージ・ボード)やプロフィールが実在するという前提(ここ重要、あくまで前提なのです)でコミュニティが形成されている点です。

 逆説的に言うと、つまり「現実世界の繋がりがない人は参加できない」という負の点(デメリット)と背徳する関係にあるのではないでしょうか。

 過去パソコン通信(草の根・大手両方)を経験した身からすると、今の SNS はそれなりに「うまくやっている新しいコミュニティ(社会)」だと考えることができます。仲の良い人たちでコミュニティを築くことができる、なんて理想的なコミューンなんでしょう。皮肉ではありませんよ。

 ですが、意味もなく「招待制」をとり続ける事に何かしらメリットがあるのでしょうか。家族に例を例えると、それは血族のみの集団であり、外部からの血を受け入れる事はありません。婚姻・養子という関係で親戚という新しい繋がりが形成される訳ではありますが、同一種族(家系)による血統を保ち続ける事(所謂近親の類)は生物学学的に衰退するとも言われています。同じ劣等因子が存在する場合、それが継承される場合がある、と。ネットで言えば、同じ思考回路を持った者同士が集まれば、外部からコミュニティへの侵入者(コミュニティの方向性と反対する思考を持つ者)があれば排除する傾向にある可能性がある、とりわけ、日本という風土においては「協調性」が何よりも優先されますので、異文化の流入はコミュニティにとっては危機に陥るわけです。そういう意味では招待制という SNS サービスはなんとも素晴らしいものでしょう(繰り返し、皮肉ではありません)。

 招待制ではない昔のパソコン通信では疑似匿名性ネットワークでしたが、今の SNS によるコミュニティよりもお互いの個人(personality)としての信頼感や情報(information)の信頼性が高かったように思うのは私だけでしょうか。招待制ではないが故、新しい人の参入は新しい血、すなわち異文化の流入であり、歓迎されたように記憶しています。これは私の周辺事情、私が在住している富山県の 1995 年前後の事情、そして Nifty-Serve(ニフティ・サーブ=一時期会員数 200 万人を抱え込んだパソコン通信大手、現在 @nifty としてパソコン通信のフォーラム機能サービスは終了)だけなのかもしれませんが。

 パソコン通信は匿名世界と勘違いされている方が昔からメディアの方にはいらっしゃいます。ですが、実際には、会員登録時に本名・住所・電話番号等を書くのは草の根パソコン通信ホスト(個人が運営する自宅インターネット・サーバのようなもの)でも常識だったのです。その上でハンドル名/ハンドルネームといった匿名を用いたので疑似匿名性と表現させていただきます。

 現在の SNS (mixi を特定して名指ししている訳ではありません)が「招待制」という制度をとり続ける限り、SNS は閉鎖的なコミュニティである事には変わらないと思うのですが如何でしょうか。今の招待制型 SNS は新しい形態のコミュニティに見えますが、実のところ、社会的には一歩前のコミューンのような存在に思えてなりません。コミューンは理想ではありますが、そこは閉ざされた世界であり、そこで満足する限り、新しい発見もなければ新しい挑戦も無いかもしれません。だって、そこが理想郷なのですから。

 去年は友達の友達の空間までの安心空間 SNS mixi、その対局として匿名掲示板 2ch がよく引き合いに出されました。でも、これは視野搾取的です。匿名だから荒れる、コミュニティ社会の和が壊れるとマスコミは言いますが、私はそんな事は信用していません。なぜなら、10年前の今頃、NewsGroup の fj.usage などでは、実名(しかも大学名や所属機関・会社の看板をひっさげて)で 2ch のような(と書くと語弊を与えますので補足、2ch でもコミュニティとして素晴らしく機能している場所はあります。匿名だから悪いという対論として引き合いに出させていただきます)根拠無き罵倒と他人のことを察することもできない世界は既に存在していたのです。実際、今も面影は fj.news.usagefj.news.policy などで見ることができます。弾劾されるべきなのは 2ch というコミュニティ・システムではなく、個々の「人」なのです。無軌道な暴言の発露は匿名だからとは限らないと思うのですが、如何でしょうか。例え実名であろうと、考え方の違いにより、現実世界では人は言い争い・戦争や殺し合いまでしているんですから、宗教観の違いだったり、色々な利権や思惑が動いているのですけどね。日本の現実社会では名を出さぬ論者による妄言もあれば、新聞記者@名無し、放送作家@名無しによる世論誘導もあるかもしれません。

 つまり、閉鎖的 SNS が存在しつづけても、思考・思想の異なる人の流入・流出といった流動性を伴わない場合、そこからは何も新しい発見や想像は生まれない可能性が高いと言えるのではないでしょうか。単に"荒らし"を防止したいがために SNS を構築する事は決して悪いことではありません。逆にこう考える事もできませんか? ある人の招待で新しい人が参加して来た。でも、どうも SNS のコミュニティの方向性とは、なんとなく違う、そんな発言を繰り返す。アメリカでは異なる意見は歓迎される風潮にあると思いますが、日本においてはどうでしょう。異を唱える存在は場を荒らす犯罪者として断罪され、最終的には自らコミュニティを離れるか・管理人からアカウント削除を受けるでしょう。影響はそれだけに止まらないかもしれません。その問題とした人を招待した人にも影響を与える可能性もあります。あいつが呼んだから場が荒れた、そう言われれば、その人はコミュニティに居続ける事ができるでしょうか。別のコミュニティに移るという選択肢もあるのですから。今、形が違う多くのコミュニティがインターネットには存在します。

 SNS の「招待制」というのは、日本の風土には合わないのではないか、そう思います。私は農家なので、最近団塊の世代が農家へ新規参入するという事がニュースに時々現れるのを気にしています。結論から書くと、農家は誰でも出来るわけではありません。新規に参入には農業を行う農地が必要なのは勿論、役所・役場にて様々な書類の提出、それよりも「農業委員会の審査」が必要な場合もあります。本当に農業がしたくても、出来ない人は多くいるようです(統計上の資料が無いので、あくまでネット上の様子を見た限りですが)。

 本当にコミュニティに興味があり参加したい・貢献したい、なのに招待制なので参加できない、これはコミュニティにとっては損失となる場合もあるのではないでしょうか。勿論、SNS を否定している訳ではありませんが(それはそれで理想郷です)、「招待制」の SNS が持つ負の面について誰も触れていない事に対する事に私は危惧を覚えています。まるで全てのネット上のコミュニティが SNS に移行したらよい、そのような風潮には賛成できません。そうなってしまうと、コミュニティは SNS に参加する個々(personality)を重視するのではなく(当初は目的としていたかもしれませんが)、いずれ個々よりもコミュニティの維持(コミュニティの治安・安全・体面)の方が優先されてしまい、個々なんてものはコミュニティという見えざる支配者(多くの個々による思念の統合であり管理者ではありません)により、反体制というレッテルを貼られた個はコミュニティ上で社会的にどうでも良い存在として扱われ、最終的に反動分子としてコミュニティ上では抹殺される事になるのではないでしょうか、コミュニティの治安維持という正義の名の下で。まるで内ゲバ。

 ですから、私は、そのどちらでもないパソコン通信のような疑似匿名性を持つコミュニティ、もしくは限りなく現実に近い匿名ネットワーク、そこでは互いに他者の個を尊重し、出入りも自由、現実世界では出会うこと・気付くことが出来ない新しいネットワーク、そこに回帰してゆくのが 2007 年の流れではないかなと思います。

 今時な言葉を使えば コミュニティ 2.0 とでも言わせていただきましょうか。私はネットワーク・コミュニティというのは誰のものでもないと思っています。1992年、IIJ によりインターネットは誰でも利用できるようになりました(といっても当時の料金は高く、普通の一般家庭で使うには回線代金が月数万円代であり敷居が高すぎました)。1994 年に大手パソコン通信の Nifty-Serve(現 @nifty), PC-VAN(現 biglobe) が低価格のアナログ方式によるダイヤルアップ接続サービスを開始し、Windows 95 の発売によりブラウザという新しいインターフェイスを手に入れ、ようやく、パソコンを買って少しのお金を出せばインターネットにつながる時代が到来しました。

 物理的な回線は、NTT なり、電力会社だったり、プロバイダの所有物だったりします。ですが、コミュニティというのは本来目に見えないものであってもいいはずなのに、なぜか「枠」にはめようとしている、それが「招待制」にあらわれていて、皮肉にも日本の風土を反映した旧来型の日本社会システムをネット上で再構築しているように見えるのです。ネットの可能性を自ら私たちは閉ざし、棄てようとしているのではないでしょうか。

 ネットとは、コミュニティとは、誰のものなのでしょう?
 今一度、私たち一人一人が自分の立ち位置を見定めなければ、
 「水は低きに流れる」かのように、
 そこに待ち受けるものは。


参考:
- 日本のインターネット (Wikipedia/Ja)

コミュニティ 】 2007年01月29日 04:49

 ようやく iPhone の話題も落ち着いたかな?

 iPhone については記事が色々出尽くした感じがするかと。ま、実際にどんなデモがあったかは動画を確認したら間違いないと思う。7分間にわたるビデオがアップされてるので、興味があれば見てみては?(英語ですけど、見るだけには何も問題ないですよ)

- Jobs demos new iPhone apps (CNET TV)

 ネット上のメディアでも、良くも悪くもバイアスがかかっているから・・・。

 百聞は一見にしかず。

コミュニティ 】 2007年02月17日 22:02

 私がインターネットで活動している時は、基本的に本名を使っている。メーリングリストの投稿や掲示板であっても、よほどのことがない限りは実名で活動している。なぜなら、昔からインターネットでは実名を通しているから。ただそれだけであり、それ以上でも、それ以下でもない。

 実名で過去10年間続けて活動しているのは、インターネットに新しい社会の可能性を求めたから。だから、ハンドルネームという匿名を棄て、敢えて実名で活動する事になった。それだけである。


 私がインターネットでの活動をしようと思った時(今から約10年前)は、まだパソコン通信とインターネットの勢力が拮抗していた頃だと思う。まだ草の根のパソコン通信ホストも存在していたし(私も自宅ホスト局を運営していた)、大手パソコン通信では Nifty-Serve(ニフティ・サーブ)が大手を振っていた。Nifty-Serve は、今で言うところの"人が集う場"という意味では 2ch 的な立場にあったと言えなくともない。インターネットでは Netscape Navigator(今の Firefox, mozzillaの前身) がシェアの殆どを握っていた。それに今は廃れた News Group も元気だったと記憶している。

 なぜインターネットでは実名を名乗ることを選んだのか?

 それはパソコン通信(草の根、大手 Nifty 等)ではハンドル・ネーム(所謂ペンネームみたいもの)ありきだったのに対して、インターネットでは実名が前提(だったように思うけど、違うかな? newsgroup の void 氏は別。)に見えた。そこに私は「新しい可能性」を見いだしたから実名で活動をすることになり、今日に至る。

 その「新しい可能性」とは? なんというか、パソコン通信には閉塞感を感じていた私がそこに居た。閉塞感の正体とは、匿名性がゆえの社会閉鎖性、ではなく、日本の社会全体を覆う「村社会」的なコミュニティの形成に対する閉塞感に対するものであった。村社会というのは「和を持って尊しとする」という日本最初の憲法に記されるほどの「和」の尊重を指す。古来、日本では和こそが社会秩序であり、和を乱そうとするのであれば「何やってるんだ、お前?」というような、今で言うグーグル八分ではないが、それこそ本当に村八分になって社会からは爪弾きにされるのが日本の村社会である、と定義させていただきたい。

 さて、当時のパソコン通信やインターネットに対する世論(もしくはマスコミ)の風潮は「仮想世界で何ほざいてんだ?おまいら」であったと思わる。「仮想社会」の所以は匿名(ハンドル名)を使って掲示板で交流する様が、それこそ当時の風潮からすると「何か恐ろしいことをやっている存在」に思えたようだ。

 尤も、パソコン通信やインターネットが現在のように有名(一般化する前)になるまでに、オウム真理教事件(関連事件をまとめて)とネットの繋がりを指摘される事があった。今でも覚えているのが「霞ヶ関サリン散布ゲーム」がネットを通じて配布された時のマスコミによる過剰反応である。こんな(ゲームを配布する)ようなネットは危険だ!そこに集っている連中もオウムのように危ない連中に決まっている!!ともいったような糾弾状態。

 当時は私はもうネットの中の人だったので、私としては「は、そんなの一部だろ?」といった感じだったが、世の中は仮想社会=下層社会という風潮で満ちていたように思う。それに、元々 JUNET 時代からのインターネットの住人からすると、パソコン通信は邪道と思っている所があったんじゃないかと思う。基本的に NewsGroup は実名で所属を名乗るような所だったので、パソコン通信のような匿名は邪道に見えたのではないだろうか。実際、歴史的には JUNET のほうが古いし、いや、パソコン通信もそれなりに歴史はあるが、異なるコンピュータのネットワーク間接続は異文化の衝突そのものであり・・・きりが無いのでこの程度に、結論からすると、当時パソコン通信 vs the internet という構図は既にできあがっており、fj.usage 等で色々楽しい(?)論議が交わされていたのを覚えている。

 他にも、大手パソコン通信の Nifty-Serve のフォーラム(会議室にある電子掲示板)でも参加条件が「実名」の所もあり、理由としては「実社会との繋がりを重視するため」といったような趣旨あったような気がしないでもない。今でも確認してみたいのだが、残念、Nifty-Serve はパソコン通信サービスを昨年(2006年3月)終了させているため確認できない。

 そういった時代背景もあるのだが、インターネット(当時の私の目に映った the internet )は、どちらかというとパソコン通信の持つ閉塞感を打破する可能性を求めた。パソコン通信はパソコン通信で楽しいのだが、それは「和の文化」といえば聞こえが良いが、裏を返せば実のところ、日本の社会そのままをネット上で「匿名」という形で実社会である所の「閉じた文化=村社会」を再構築しているにすぎなかったのである。

 それで、インターネット(the internet)を見てみると、パソコン通信が1つのフォーラム(Nifty-Serveの場合)や草の根BBS(パソコン通信ホスト・主に個人が運営している所を草の根と呼んでいた)で閉じているのに対し、インターネットがずいぶんと開かれた社会に感じた。

 なんというか「社会が変わる」という可能性をインターネットに感じた。
 情報革命。情報化社会が招く「革命」。
 そうだ、これは社会が変わるんだ、革命の瞬間なんだ。
 そう思った。

 だから、匿名(ハンドル)を棄て、インターネットでは実名を名乗った。

 私は、コンピュータ・ネットーワーク(インターネットもパソコン通信も)が仮想社会(下層社会)という現実社会の Layer (層)と重複しているのではなく、現実社会と一体化したネットワークを求めていた。村社会ではない、新しい社会の到来を予感した。

 だから、インターネットでは匿名(ハンドル)を名乗らず、本名をそのまま通す事にした。

 ・・・それから約10年が過ぎようとしている。

 私は一応、それなりの理想を掲げて個人で実名を出してネットでは活動をしてきた。だが、振り向いてみると、気がつけば実名で活動する事より「名無しさん」もしくは「ハンドル」といった「匿名」を選ぶ人の方が多いようだ。

 実際、たとえば SNS の mixi を見てみると、何というか「村社会」の再現をネット上で再構築しているにすぎないように見える。確かに日本的なコミュニティだ。2ch やその他各種掲示板やメーリングリストに至っても、基本的には「匿名」で活動している人のほうが多いだろう。暴論だが、簡単に書けばネット上の社会も、日本の現実社会でいうところ「村社会」を再構築しているのに過ぎないので、「A」というう命題に対して「B」という提示を行うだけで荒らしと見なされ、村八分が起こる。逆にこうも書いてみよう、たとえば所謂本当に揚げ足取りの「荒らし」がネット上に存在する訳だが、そのネット上の彼(彼女)は日本の現実社会に存在する誰かであり、そういう輩の毒の吐き場としてのネットって一体何?という思いと、実社会でそんな事言っていたら本当に村八分者だぞという彼(彼女)が実在している現実に驚愕したりもする。なんなんだ、この2重構造思考な日本社会は、と私は思ってしまうのだが。

 やはり、日本社会は依然として「村社会」であり、ネットとは、現実世界の上位もしくは別次元の「Layer (層)」にすぎないのだろうか。実名(もしくはコテハンでもいい)で動くと荒がたつ、日常生活で支障をきたす、なぜなら、日本社会は「建前」と「本音」という精神の二重構造を抱えて動く社会であり、現代人は日常で「建前」・ネットで「本音」を使い分ける為にネットを使うのではないか?と考えてしまう。

 今は、単にそれだけのためにネットは弄ばされ、日常世界の捌け口、もしくは日常の隠れ蓑としてネット社会が存在しているのではないか、と思うと残念である。ネット世界は現実世界と同じ時系列上にあるにかかわらず、別の次元で同時進行しているようにも見える。ネット社会が、である。現実世界に生きる、私たちが、である。

 気がつけば今日のインターネットという存在は携帯電話を経由して、10代を始め、幅広い世代を巻き込み一大ネット文化圏を形成しつつある。でも、それは未だにパソコン通信で私が感じた閉塞感通りの「村社会」であり、インターネットは単にベクトル(方向性)が違う日常の「村社会」の再構築にすぎない、ようにも思えるのだが。

 マスコミ(世論)の論調も、いつの間にか「ネット=悪」から「ネットには良い点もあれば悪い点もある」と切り替わってしまっているように思う。なんだかな。ネットに住む住人ですら、例えとして適切かどうか分からないが、ちょっと前の 2ch 閉鎖騒動においても見受けられるのは「おらが村を守るべ」といった、やっぱり「村社会」根性丸出しが一部見受けられたのは非常に残念な事だった。私はネット匿名社会の是非を問いたいのではなく、2ch 利用者から違う方向性が産まれなかった事に落胆している(ま、それはそれで面白いと思うし<曖昧表現なので補足「匿名社会」は「匿名社会」で面白い、の意味2007/02/21>、本当に。実際私はパソコン通信というホストを運営していたし、その「村社会」上でも、更に「匿名」(本当に誰が書いたか分からない)掲示板を作ってみたりもした)。2ch が潰れるなら、じゃ、2ch の抱える問題点を解決して、新しい方向性を提示して、そこに人が移るというプロセスは残念ながら発生しなかった。結局の所、日本人には匿名である「村社会」的なネットワークが似合っているのだろうか。じゃ?お前が始めろって?(ま、出来るなら何とかしてみたいです。今は何が一番良いのか、模索中。問題提起だけでゴメンなさい)

 このあたりは日本の風土というか、民俗学的にちょっと真面目に考察してみると面白いレポートが仕上がりそうだが、私は学生でなければ、その手の研究者でも無いので、深いつっこみは、その手の専門家の方々に任せることにしたい。


 以下参考文献って、自分のです、おまけ。すみません。
 初稿は 1998 年 2 月 3 日( 9 年前!?)。当時公開のプロバイダは FITWeb で原文そのまま。文章稚拙(結論がなかったり)ですけど、ま、そこは若さ故のなんとやらで。

メディア総研 [#004:February 3]
 『いまだにゲームのせいだなんて』

これは、ある本からの引用です。

「いまの中学生たちはむっつり押し黙って自分の殻のなかに閉じこもって思考を働かせる。物事を主観でとらえていて、用意にそれをまげようとしない習慣がある。突っ込んで問いただせば黙り込んでしまうのだ。反抗にしてもいまは立ち上がってわめくのではない。黙って背を向けるのである。ひとりの人間としての人格を主張し、プライバシーの侵害を拒否する。概して静かで何を考えているのかわからないという不可解な面のあることが、ひとつの風潮のようにひろがっている。」

 これはいつの本だと思いますか? いまじゃないんです。引用したのは「中学生 その日々」(望月一宏 著/岩波新書(黄)17)という本。これは1977年に発行されたものなんです。

 さかのぼること20年前。正直なところ僕は『なんだ、今も昔も全然かわっちゃいないんだ』と思いました。あなたはどうですか?

 今をときめく中学生・高校生は「戦後第二の校内暴力のピーク」とか騒がれています。でも、第一のピークだった昭和50年代前後。あのころに今のような批評がなされていたでしょうか? 色々本を見てみましたが、当時そのような考えはなかったようです。

 未だに「子供たちがおかしいのはゲームのせいだ!」とか「バーチャルな世界に浸ることで」とか「アニメが現実と仮想の区別を…」とか、こんなレベルの話がされてるなんて……。ワイドショーやテレビの批評家屋さんが喜んで言いますからねぇ。「近頃の子供たちは」と。

 「ゲームが悪い」というテレビを真に受けないよう、気をつけていたほうがいいかもしれません(^-^;

 だって、テレビも目の前に実在しない、という意味ならばゲームやアニメと何ら変わらないんですよ…。

 ゲームやアニメといった世界は、僕らが実際に生きている空間と区別がつくものです。むしろ、ニュースという真実と呼ばれる者を報道する一方で虚構を限りなく現実に見立てるテレビ。こちらのほうが危なくないでしょうか。僕が小学生の頃は「テレビは一日2じかんまで」という夏休みの決まりがあったような気がします。テレビはイケナイ!と言うのが許されたのは、ゲームやアニメが今日のように発達するまでだったのでしょうか。

そこの所、注意していった方が絶対いいとおもいます。本当に論議すべき点は他にあるんですから…。「こんな日本に誰がした!」なんて叫ぶのは誰にだって出来ることだと思う。自分で評論家と称してテレビに出るんだったら、学校がどうしてそうなってきたのか、現実をどうしればいいのか、どういうふうに対処しなければいけないかを考えていくほうがいい。……テレビに任せてないで、僕らも。ちょっとづつでいいから、自分の身の回りかな変なところ、見直していきませんか?

 最後にもう一度その本から引用します。


 いま、少年の非行をどうとらえるかについて、あたらしく問題にすべきときがしているかもしれない。非行、非行、……といつまでも騒ぎ立てたり、追いかけたり、嘆いたり、うろたえたりしていても、いっこうにらちがあかないし、結局、何ものこりはしない。

 そう、結局何ものこらないまま、変わらないまま、あれから20年が過ぎ去った。

 どうも府に落ちないんです、ゲームやインターネットが人間をおかしくするという考えに。

 「インターネットが現実と仮想の区別をつかなくする」っていう人もいます。が、「じゃ、それをメーリングリストで発表しているキミはどうなんだ?」と思うんです。ネットの事を自分から非難しておいて、自分はネットで発言している。矛盾していますよ。これじゃ自分で自分のことを「自分は犯罪者予備軍で~す」と自ら宣言しているみたいです。

 上の例えは極端としても……。

 これに似た考え方で「原発反対」というのも当てはまると思うんです。「原発に反対!」、じゃ、君たちは電気をストップした生活を送りなさい、と。(現在の発電というのは、一般的に深夜の発電は原子力発電でが主。日中、人間が生活したり電気を使ったりで、それに併せて火力発電所・水力発電所が稼働していきます。正午をピークに再び火力・水力発電所の利用率は下がっていきます。えー、ですから、環境問題を唱えるのであれば、自ら節電することで火力やガス発電所の利用をわずかながら低下させることが可能です。1人では微々たるものの、みんなでやれば…。電気の需要さえ下げれば、これ以上原発を建設しなくても良くなるんです。たとえば北陸電力の場合能登半島に志賀原発2号機を建設する予定があります。これは100kw以上の需要があと10年でありそうだから、いまのうちに建設しておこうと。原発1基で130kwの電力が得られます。)

コミュニティ 】 2007年02月18日 18:08

 一応、補足をしておくと、
 別に「匿名が悪い」っては思っていないし、
 そういうのも有りだとは思うよ。

 矛盾しているようだけど、
 実名で書けないからネットは良いんだとも言えなくもないし、
 コミュニティ形成面では。
 実社会でなかなか出会えない人達がネットで集えるのであれば
 それはそれで面白いと思うよ。
 そうでなければ、私だってパソコン通信を始めなかっただろうと思う。

 パソコン通信といえば、
 完全に匿名だったと思っている人もいるかもしれないけど、
 実は個人が運営している草の根BBS(パソコン通信ホスト局)でさえ、
 個人情報の提供が当たり前だったりしてました。
 住所や本名、電話番号などなど。
 その個人情報を預けた運営者(シスオペ=SysOp.とか)上で、
 ハンドル名(匿名)の利用を許可出来たというのが殆ど。
 しかも、登録しないとBBS内の掲示板は読むことすら出来ない所が
 結構あったりしていたように覚えている。
 ま、これは個人運用の草の根BBSは、
 リソース(電話回線1つだけとか)が物理的に限られていたので、
 読まずに発言しない人は ROM (Read Only Member)とか、
 ダウンロードばっかするのは DOM (Download Only Member)とか
 呼ばれていましたが。
 だから、パソコン通信は本当に今で言うところの匿名か?というと
 そうではない、と、当時の当事者としては思うわけで。

 ただ、以前は匿名社会は変と言われていたネットが、
 普遍的な存在になってしまって、
 それが日本の風土=日常生活(リアルワールド)における
 負の面をネットが継承し続けているというのは、
 ちょっと残念なのかなぁと。
 たぶん、時代の雰囲気だと思うんだけど、
 ネットから匿名で群れて社会を非難しているのは
 いわゆる前世代が群れて体制側に石投げたりしてるのと
 全然変わっていないんじゃないかな、という意味で、
 なんとなく、やるせない感じを受けて、
 ちょっと書いてみました。

 あと10年後に見直してみると、
 きっとネットは
 また変わっていると思います。

コミュニティ 】 2007年10月20日 12:28

なんかさっき起きたら、リアルで工作員が湧き出ててワロタww

- http://news22.2ch.net/newsplus/


440 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/10/20(土) 08:54:20 ID:FsGG9Jjo0
はー頑張ったのに勘違いだなんて
結局時間の無駄だったな

441 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/10/20(土) 08:54:22 ID:sp2HDdzO0
なんか説得力あるものもないし
勘違い説が最有力だな・・・^^;

442 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/10/20(土) 08:54:22 ID:7HMjhHkK0
なんか俺らの勘違いって説が有力みたいだな
もうやめるか

443 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/10/20(土) 08:54:23 ID:8YZNdX+R0
こんだけやって結局勘違いか
時間が無駄だったな・・・

444 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/10/20(土) 08:54:25 ID:ffsd0iW+0
やっぱ勘違いだったか
時間が無駄だったな^^;

445 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/10/20(土) 08:54:26 ID:0I0SybGP0
恥ずかしい奴らw
時間が無駄だわ

447 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/10/20(土) 08:54:29 ID:pl0fZTH10
2ちゃんのよくある陰謀論だったんだねw
時間の無駄ですね
448 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/10/20(土) 08:54:30 ID:3h0jLPsV0
やっぱ勘違いか
無駄だからやめようっと

http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1192845292/


154 :名無しさん@八周年:2007/10/20(土) 11:07:29 ID:JLh7bFL50
オタク画像の一つや二つでGoggleやTBSや電通様の陰謀だのなんだの騒いで
世間から見たらお前らのほうが異常ですからwww


189 :名無しさん@八周年:2007/10/20(土) 11:10:10 ID:JLh7bFL50
>>154
本当だよな
同じ2ちゃんねらとして凄い恥ずかしいorz


ちょwwwwwwwwww

IP分かれば個人特定できるのにねぇ(ノ∀`)アチャー
いや、マジで今、歴史に残る瞬間だよwww



全く売れなかった電通ホリプロの「伊達杏子」をセカンドライフで復活させる動きを見せていた(J-castで報道済み)

J-castはさらに「陰謀説」を否定する記事を配信した(10月19日記事)

TBSとホリプロの和田アキコを使って「初音ミク」のネガキャンが行われた(印象操作)

Wikiの「初音ミク」の項目を削除させた。 「伊達杏子」の項目は保護依頼により保護

編集合戦の後、現在復活したが編集履歴を証拠隠滅 DEN助→株式会社交通新聞社

Google、Yahooで「初音ミク」の画像検索が出来ず、別画像に差し替えられる。

「伊達杏子 復活」画像検索で最初に出てくる「初音ミク」商品画像も「伊達杏子」画像に

「初音ミク」「DTMマガジン11月号(初音ミクが表紙の特集号」はJANコードで検索も画像が別の物に

Googleから、2chの「初音ミク」スレのキャッシュが抹消されている模様(亀田関連も)

世間ではGoogleの姿勢に疑問が生じ、検索結果がGoogleオワタhttp://www.searchdesk.com/data/index.htm

ググれ→ググるカス→ぐぐるな危険!に 

msnのあまりの工作感のなさ、画像精度に ゲイツに聞け! ムスれ!(Google使用を自粛派)
↓(試しにビル・ゲイツ、初音ミクでゲイツに聞け!)http://search.live.com/images/
火消のために工作員が大量発生、しかし尽く論破される

工作員の間で寝る寝るといいながら寝ない『寝る寝る詐欺』図星ゆえの『勘違い詐欺』『飽きたよ詐欺』が横行

あまりにも情報が的確すぎるので2CHは妄想の書き込みしかないと変人ぶって自作自演 ←今ココ!!













- 鮫島事件とは

おっと電話が

コミュニティ 】 2008年01月20日 16:40

こうですか?! わかりません>< (本稿は書きかけです。)

「こうですか、わかりません><」
 とある技術系のメーリングリストで流れた、回答者に対する質問者の一言。何気にネタではないかと思うのだが、至って質問者は本当に分かっていないことがある。この後のやりとりについては読者の皆様の想像にお任せする。

 日本では「人力検索はてな」「OKWave」をはじめ「Yahoo! 知恵袋」など代表される Q&A サイト、若しくは質問系サイトが結構繁盛しているように思う。私は分からないことがあると google で検索することがおおいのだが、このような Q&A サイトが検索結果にひっかることが頻繁だ。海外では掲示板やメーリングリストが検索結果として表示されることが多いのにだ。なぜ、日本ではこれほど Q&A サイトが隆盛しているのであろうか。

 Q&A サイトの仕組みは単純だ。匿名の質問者が質問を投げ、それを見た匿名の回答者が回答する。質問によっては直(す)ぐに回答が帰ってくることもあれば、なかなか的を射ない回答しか得られないこともある。そこには回答する義務はなく、全(すべ)ては参加者の意思次第でサイトが運営されている。質問は日常生活に関(かか)わるささいなことや個人の悩みだけでなく、専門的な機械技術に関する話題など、ジャンルは幅広い。

 しかし、私から見れば Q&A サイトは質問者にとって体のいい道具でしかない。只(ただ)の道具にしかすぎないと思うのだが、思い過ごしであろうか。いずれのシステムでも回答者の評価や、ポイントをわたすなど、回答者のモチベーション向上を図ろうとしている所がポイントである。回答者自身が評価されるという行為によって、回答者のある種の承認欲求を満たすことが繁盛に繋(つな)がっているような気もする(ここが日本らしいといえばそうなのだが)。

 敢(あ)えて言おう、回答者は質問者に対する「道具」でしかない。そこで交わされるのは無味無感な情報のやりとりでしかない。質問者・回答者も単に情報のやりとりと割り切って、それ以上の交流を求めていないような気もする。そこにはコミュニティ(社会)は存在するように見えて、全く存在していない。かつてメーリングリストやパソコン通信の掲示板やフォーラムに見られた交流というのは一切ないのだ。

 ネットワークに対する多くの日本人の誤った理解が、このようなネットワークの道具化を推し進めたのではないだろうか。日本では「ネット」=「仮想社会」という考えがマスコミによって10年前に論調はつくられた。今では「ケータイ」の延長のようなものと捕らえられて、 単に便利な「道具」としか認識されていない

 もちろん、mixi2ちゃんねるではコミュニティが形成されているから良いのではないか、という意見もあるだろう。だが、私はそうは思わない。現在の日本のコミュニティは日本の伝統的な村社会の延長でしかない。所謂(いわゆる)「和を持って尊しとなす」日本文化である。意見の対立は歓迎されず「空気を嫁(読め)」と馴(な)れ合いのみが求められるのだ。対立者は一方的に「荒らし」として断罪され、コミュニティは見えない空気によって変化を押さえつけられる。

 こういった日本独特の雰囲気を重視する余り、日本では海外で見られる実名によるネット上での情報発信がないと思う。現実社会をよりよくするためのネットワークとしてのコミュニティ形成の動きがほとんどないのである。
 だから逆に、インターネットは単なる「道具」である、と、単純化して捕らえることで、インターネットが出ても我々の生活は安泰であると、日々の生活に隠遁(いんとん)としているのである。そこに変化が起こってきているのにも気がつかずにである。

 目を転じると、日本という国は平成に入ってから年々酷(ひど)い状況になってきてきている。各種の経済問題のみならず、日本という社会そのものがおかしくなっている。このような問題を対処するために、私はネットワークを使った可能性が、今でも社会を変えていく原動力になると思っている。

 江戸時代の幕末、日本は空気を読む文化に支配されていた。しかし、それではいけないと攘夷(じょうい)派だった明治維新の志士たちは、あえて戦いを起こしてでも日本という国をかえて立ち上がった。そのパワーは国民全体に波及し、勢いは急激に当時の先進諸国(列強)に追いつき大国と戦争をして張り合えるまでにのし上がった。そして、現在の経済的に恵まれた国ができ、今の我々の生活がある。

 こういったネット上でも空気を読む(しかも必要以上に)流れが、Q&A サイトの隆盛に繋がっていると私は思う。日本的馴れ合いネットワークでは、時に単なる質問ですら場を見出す行為と捉えられることがあるからだ。

 正直、ネット上で空気を読めなんてバカじゃないのか。別に日本的な村社会コミュニティで発言していても、それはそれで当人達は納得したり論議で得られるものはあるかもしれない。だが、社会は何も変わらない。折角(せっかく)このような便利なネットワークがあるんだから、正々堂々とネットで発言し、本気になって社会を変える方に我々は動いていくべきではなかろうか。

コミュニティ 】 2008年09月05日 13:22

リグレト→リグレット→後悔ね

なんか、リアルタイムで「つながっている」感じが(・∀・)イイ!!

リグレト - みんなで「ヘコむ」を楽しもう! http://rigureto.jp/

なんか面白いサービス。
吹き出しとか、独特。
「なぐさめる」とか、なんかいいw

ふいんき(なぜか変換できない)がニコニコっぽいな~。

<21:22 画面キャプチャ追加>
これがメイン画面。みんなの、いろんな悩みが画面上に。ぴょこぴょこ動いているのが面白い。一つ一つの吹き出しををクリックすると、みんなの「慰め」が表示。ここで自分も「慰め」ることが出来る。もちろん、自分の家並みを書くことも。


りぐれとのメイン画面



自分の悩みが解決したときには、成仏させることもできる。
りぐれと 自分の画面、解決すると「成仏済」と表示

センス良いなぁ。

コミュニティ 】 2010年03月28日 22:25

不思議なことに、ネット関係の技術やコミュニティは「仮想社会」とひとくくりにされる事が多い。インターネット上の、2ちゃんねるに代表される匿名掲示板を始め、各種のコミュニティ、すべてがである。セカンドライフのようなコミュニティもそうだし、オンラインゲームの世界も仮想社会と言われる。最も、かつては、パソコン通信や newsgroup のような世界は、ほぼ完全に"世間一般"から「仮想社会」と見なされていたと思う。

だが、不思議なことに twitter の事を、ネット上の「仮想社会」とみなすような意見は少ないと思う。何故だろう。

理由は、結構シンプルなのかもしれない。

・即応性…ツイート(書き込み/つぶやき)の内容が、すぐに反映される。
・偏在性…場所を問わない投稿が可能。PCは勿論、携帯やiPhoneを通しても。
・無料…twitter.comのサービスを、クライアントとしては無料で使わせて貰っている。

が、何よりも大切な要素は「簡単」な事であろう。ほんの140文字という限られた世界ではあるが、その中での自由が、かえって使いやすいような印象を受けているような気がする。ログインさえしれば、誰でも比較的簡単に、日本中、いや、世界中のネットワークと接続することが出来る。否、つながるのはネットワークではなく、その咲きにいる人。

こんなに簡単につながることができていいんだろうか。

かつて、コンピュータを介してコミュニケーションを取るには、パソコンを用意したり、モデムを用意したり、パソコンを使いこなすスキルを求められたり…結構敷居が高かった。だが、いまや、ウェブさえ接続できれば、だれもが使うことができるのだ。

正直、これはすごい。ネットを使ったコミュニケーションの敷居を、twitterは、簡単に下げる事に成功したのではないだろうか。携帯を使うよりも、ネットにつながってさえいれば、簡単にコミュニケーションを取ることが出来ている。

これは、静かな革命だと思う。静かな革命が、あまりにも(一部ではあるが)静かに的確に進行したため、しかも、現実世界に覆い被さるように、考える間も内ほど、アッという前に twitter の津波は、現実世界のレイヤーを覆い尽くしたかのように見えるのだ。

気がつかないうちに進行した、誰もが望む革命。しかも、現実世界を結びつけるもの。だから、これもネット上の技術なのに、「twitterは仮想世界」と言う人は居ないのかな。そう思う。


自分自身はというと、2月に本格的にtwitterを始めて以来このかた、何となく、毎日twitterで文字を綴る日々。気がつくと、今日現在で1,705ツイート(発言)に達していた。60日間使っていたとして、一日約28ツイート。起きている時間を考えると、30分おきに何かしら、書き込んでいたことになる。

私が感じる twitterの面白い所は、140文字という制限もそうなのだが、いつでも、どこに居ても書き込める点があげられるだろう。私は、TweetDeckというtwitterクライアント(twitterに簡単に投稿したり読んだりするツール)を使っている。TweetDeckは、PC上ではAIRアプリとして動作しているのだが、同じインターフェースと操作感でiPhone上でも扱うことができるのだ。端末を意識せず、そして、場所を気にせず使える点はとても大きい。

そんなこんなで、毎日何かしらネット上で「つぶやいて」いて、こちらのブログが久々になっていた次第ではある。だが、そろそろ再び、ブログにもそろそろ手を入れていこうと思う。

twitterとブログは、どっちもネット上の技術ではあるが、手法・目的が違う。witter上の発言は、自分の思いつき・つぶやきであり、タイムライン(twitterで時系列に並べられた発言一覧)上の誰かに対する、条件反射的な反応が多々ある。

それが、面白いことは面白いのだけれど、後で情報を見直そうとしても、膨大なタイムライン上にうずもれてしまい、探すのが大変になってしまう。また、タイムライン上で何か書いた"つもり"になっている事が多いが、肝心の情報が独りよがりになりがちという点もあるだろう。

ブログのように後で誰かに読むことを意識しないため、どうも、書き殴りになってしまいがちである。……と、私自身の投稿を見直して反省している。

改めて、twitterは、これまでのインターネットを介したコミュニケーション手段としては、なかなかユニークな存在であるといえよう。限りなく、人と人とのつながりが、割と近いような感覚。正直、こういう表現が正しいかどうか分からないのだが、自分たちが喜んでいる様が、かつて女子高生達が夢中になっていたポケベルのようなツールと重なって見えて、なんとなく面白い。

これまでのネットというのは、あくまで「現実世界」に対峙する「ネット」であったといえよう。だから、発言をする際に、匿名で行うべきかor実名かという論議も起こり得た。

しかし、twitterが紡ぎ出す世界というのは、現実世界の社会とは対立せず、現実世界の上位レイヤーとしてのネット空間を生み出しているように思う。

しかも、かつての「仮想社会」云々のネガティブな側面を批判というか、排斥されることはない。

むしろ、使っているその当人達が、皆一同に「twitterって、面白いよね。何だか良く分からないけどw」と感じているように思う。ここが、これまで登場したコミュニケーション・ツールとの大きな違いではないだろうか。誰も気がつかないうちに、社会に対して大きなインパクトを与えるtwitterというのは、純粋にスゴイと思う。

というわけで、まだtwitterを使ったことの内方は、とりあえずアカウントを作って見て、身近な誰かをフォロー(自分のリストに登録して、自分のタイムライン上に発言するようになる)を繰り返してみると良い。きっと、これまでよりも、もっとネットが……というより、ネットを通した人と人との繋がりが、身近になることうけおいである。まずは、だまされたと思って試して欲しい。

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