平成18年10月17日(火)の記録
午前中の調子がよくない。どうも風邪を引いたようだ。。
明日は仕事を休みにしよう。
・・・って、きわめて個人的なメモ帳だなぁ。。(苦笑
午前中の調子がよくない。どうも風邪を引いたようだ。。
明日は仕事を休みにしよう。
・・・って、きわめて個人的なメモ帳だなぁ。。(苦笑
Windows のサブ機が故障しました。。。HDD がカコン・カコン・・・・。で、こちらの写真は復旧作業の図。飛んだのがサブ機で良かったです。いやぁ、バックアップって大事ですよ、ほんとに。。
バックアップといえば、サーバ管理という仕事柄、色々ハードディスクの故障に立ち会ったことがありますが、バックアップは本当に重要です。。。多少、お金がかかってもハードディスクを増設しておくなり、RAID を組んでおくなり、定期的に他のサーバに転送したり、メディアに保存するなど、もうほんと、データは飛んだらそれまでですから。。
ハードディスクの復旧サービスもここ数年ちらほら見かけるようになりました。先日、某社が無料診断キャンペーンをやっていたので、数年前に故障した 1 GB の HDD を送りました。診断結果は物理故障の可能性が高いとかなんとかで。
困ったのは「データが完全復旧できるかどうか分からないけど、データの復旧作業には9万円かかります」との某社担当さんからのお電話。携帯を持った私は小一時間そのままの状態でフリーズ。え、1 GB で 9 万円でつか?・・・orz 。ちょっと、それは厳しいです・・・ orz 。
バックアップを取ってなかった私が悪いとはいえ、でも、1 GB の復旧で 9 万円というのは、庶民的には高すぎるなぁというのが正直な感想です。それでデータが復旧できる保証が無いのですから。うーむ。企業であれば、これぐらい仕方ないということでポンとお金を出せるかもしれませんけど、個人では厳しいですよ。。
ま、故障とはいっても、おそらくは HDD シーク部のヘッダが壊れたか何かだと思うので、たぶん、中のデータは記録プラッタ上に無事残っているでしょう(と強く願いたい・・・)。いずれ時代が過ぎればもっと価格も安くなってくると思うので、それまで待つことにします。。。
結論。バックアップは重要である。バックアップにお金をケチッてはいけない。
先日Windows用サブ機のHDDがダウンした件を書きましたが、今度はインターネット上のサーバが落ちました&データが飛びました(苦笑)。linux4u.jpドメインなのですが、うーん、困ったな。実験用データのバックアップ用だったので、飛んだのは不幸中の幸いなデータですが、やっぱり、バックアップって大事ですよね・・・。
それと、先日のネタで取り上げた chkrootkit の日本語訳サイト、翻訳完了しました。
興味があればどうぞ。chkrootkit というのはチェックルートキットと呼びまして、linux や BSD 系などのマシンにルートキットと言う root 権限奪取用のツールを検出するためのツール、です。
- http://pocketstudio.jp/chkrootkit/
これで、ちょっとはルートキットについての理解が深まれば幸い、と、翻訳した次第です。
先日サーバのハードディスクが飛びましたが、本業(農業)のほうが忙しくて、あまり復旧作業のほうには入れませんでした。なんでだろう? 別に変な事はしていないし、負荷もかけていなかったのに。不正アクセスは、あの状況では考えにくいのだけれども・・・ま、明日のんびり調べることにします。
明日には Fedora Core 6 もリリースされているでしょうし、うーん、明日は linux 三昧な一日かな。天気が悪いから草刈りも出来なさそうだし。
以上、独り言(ボソッ
今日も独り言モード。
なんか今日一日はバタバタして疲れた。。
Fedora Core 6 も無事リリースされたようだし良かった。。
ただ、サーバが不調らしく、リソースが参照できないのがちょっと困ったところ。。
あらかじめ Red Hat 社もアクセス集中は想定していたと思っているけど、それを上回るアクセスがあった~という所かな。
とにかく、今日一日は何だったんだ・・・・という、なんだかやるせない一日でした。。
ま、一人だけじゃどうにもならんのです。
私は自分の出来ることをやっているだけ。
なんか、悔しいけどこれ現実なのね。
あぁ、今日も戯言モード。
『慌てないで、ゆっくり始めましょ。』
from 舞-乙Hime26話エピローグ。
・・・いや、なんとなく、俺的に心にグサリと。。。
まぁ、慌てないでというのは分かっているのですが。
そうも言ってはいられないようなこの心境。
なんとかしてくれと誰かに頼むわけにもいかず、
一人孤独に現実を許容する日々。
これが厳しいのってなんの、
そう言ってみたところで何も変わるわけではなく、
俺が夢さえあきらめなければ、
まだチャンスはある。
そう信じたい。
いや、そうなるだろう。
たぶん、ね。
と、今日も戯言モード。
いつか、自分が読み返す日が来るのだろうか。
なんだか、やるせない。
森鴎外の舞姫でも読もう。
うん、そうしよう。
1番はじめに凹んだ(失敗した)所。
『 mt-db2sql.cgi line 46. 』とエラーが出たのは単にマニュアルにあるように mt-config.cgi の設定を PostgreSQL に指定していなかったため。DBI 関係のエラーが出ていたので、「おりょ、DBI はいっとらんがかのー?」と思っていたが、どうやら違った。mt-config.cgi を PostgreSQL 用に書き換えて対応完了。
2番目に凹んだ所。
『 invalid byte sequence for encoding "EUC_JP" 』
mtzem という名前で PostgreSQL 上にデータベースを作っていたのですが、
当初は EUC_JP で PostgreSQL 側のデータベースを作成していたので、
[postgres@sv pgsql]$ psql -l
List of databases
Name | Owner | Encoding
-----------+----------+----------
mt | postgres | EUC_JP
mtzem | mtzem | EUC_JP
どうも正しい文字コードじゃないよ、というエラーが出ていた。
そういえば、Movable Type は UNICODE(UTF-8)で管理していたな、というところで、データベースの再作成。
$ createdb -E unicode --owner mtzem mtzem
CREATE DATABASE
$ psql -l
List of databases
Name | Owner | Encoding
-----------+----------+----------
mt | postgres | EUC_JP
mtzem | mtzem | UNICODE
ま、こんな感じで "-E unicode" オプションをつけてエンコードを変更。
これで、あとは、この書き込みが正常にされていれば問題なし。
3番目に凹んだ所。
『 SQLエラーが発生しました: ERROR: null value in column "entry_id" violates not-null constraint 』
ん、おや? DB(PostgreSQL) 側か?
mtzem=# SELECT * from mt_entry;
・・・表示結果多すぎ、、で
entry_id,entry_title
mtzem=# SELECT entry_id,entry_title from mt_entry;
entry_id | entry_title
----------+------------------------------------------------------------------------------------------
1 | blog移行テスト
(snip)
9 | Windowsサブ機が故障~HDDよ、さらば。
(25 rows)
mtzem=# SELECT count(*) from mt_entry ;
count
-------
25
(1 row)
ん~、entry_id には何も問題が無さそうなんだけど、、、
ログを確認しても問題はなさそう。
もう一度 mt-cfg.cgi を見て、
##### BERKELEYDB #####
#DataSource /path/to/mt-db
が残っていたのでコメントアウトした。
けれども、やっぱりエラー状況は変わらず。
『 SQLエラーが発生しました: ERROR: null value in column "entry_id" violates not-null constraint 』
mtzem=# SELECT * from mt_entry where entry_id is null;
(0 rows)
別に空っぽのエントリが入っているわけではない。
うーん。困ったにょ。
mtzem=# \dt;
List of relations
Schema | Name | Type | Owner
--------+-----------------+-------+-------
public | mt_author | table | mtzem
public | mt_blog | table | mtzem
public | mt_category | table | mtzem
public | mt_comment | table | mtzem
public | mt_config | table | mtzem
public | mt_entry | table | mtzem
public | mt_fileinfo | table | mtzem
public | mt_ipbanlist | table | mtzem
public | mt_log | table | mtzem
public | mt_notification | table | mtzem
public | mt_objecttag | table | mtzem
public | mt_permission | table | mtzem
public | mt_placement | table | mtzem
public | mt_plugindata | table | mtzem
public | mt_session | table | mtzem
public | mt_tag | table | mtzem
public | mt_tbping | table | mtzem
public | mt_template | table | mtzem
public | mt_templatemap | table | mtzem
public | mt_trackback | table | mtzem
(20 rows)
うーん、この中から関連性のありそうなテーブルを粗探しするしかないのか。。。
mtzem=# select entry_id,entry_author_id from mt_entry where entry_id is null;
entry_id | entry_author_id
----------+-----------------
(0 rows)
どうしてなんだろうなぁ。。
ブラウザの「読み込み/書き出し」から「エントリーの書き出し」をしても、件数は同じなんだけど。何が違うんだろう。
pg_hba.conf の既述に従わない設定を試してみる。
書き込み結果
『Got an error: データベース接続の設定に誤りがあります: エラーが発生しました: FATAL: no pg_hba.conf entry for host "210.239.46.254", user "mtzem", database "mtzem"』
ということで、PostgreSQL 8 側の問題ではない。
やっぱ、MovableType の何かが原因なのかな?
やめ、
もう一度やりなおし。
DB消す。
[postgres@sv pgsql]$ dropdb mtzem
DROP DATABASE
ユーザも消す。
[postgres@sv pgsql]$ dropuser mtzem
DROP USER
ユーザ作り直す。
[postgres@sv pgsql]$ createuser -P --no-adduser --no-createdb mtzem
Enter password for new user:
Enter it again:
CREATE USER
[postgres@sv pgsql]$ createdb -E unicode --owner mtzem mtzem
CREATE DATABASE
[postgres@sv pgsql]$ psql -l
List of databases
Name | Owner | Encoding
-----------+----------+----------
mt | postgres | EUC_JP
mtzem | mtzem | UNICODE
よし、
んで、もう一度移行し直し。
mt-db2sql.cgi にアクセス。
Loading database schema...
(Snip=略)
Updating sequences
Done copying data from Berkeley DB to your SQL database! All went well.
よし、これでどうだ。
・・・・だめだ。。。
で、結局、エクスポートしておいたデータを元に復旧です。。
最近は田んぼばっかやってます。Fedora Core 6 そっちのけ(w
メールすら読んでません(w
・・・というか、雨が降るかもしれないので、はやく有機肥料を撒かなくちゃ、というのが実際の所。
お暇ならこちらの営農ブログもご覧下さいませ~。
昨日から天気が良くなくて、外でする野良仕事(田んぼ)が無いので、パソコンさわってのんびりと休日を過ごしていました。
前々から試したかった MovableType に携帯から投降^H^H投稿する実験をしてました。文字だけ・写真・動画・ボイス、どれも問題なく投降できそうです。これで、いつでも・どこでも書き込みが出来るようになりました。写真とか、その時、その瞬間でとってアップしたいな~という時があるんですよね(ごく希にですけど)。
今回、色々技術的にも収穫があったので、おいおい投稿方法については書いていこうと思います。
ところで作業中にリモート上の鯖が急に重たくなって、一瞬サーバが落ちたか!?と思いましたが、単にネットワークの障害だったようで、よかったです。いや、よくは無いのですが、自分が原因でなくてよかったなぁと・・・。
ふ~。
さて、今日はこれから酒でもあおって寝ます。ではでは。
そういえば、今月に入ってからメールをほとんど読んでないような・・・(汗
明日は未読のチェックでもしようか・・・。
まだ、"ブログ"なんて言葉が無かった頃から日記みたいなものはネットでつけていました。
こちらで公開しています(後悔かも)。
元々はテキストで管理していたのを bloxsom (ブロッサム) という GPL(広義のフリーソフトの一種)ライセンスで公開されているブログ用ソフトに移行したものです。
今日、たまたまちょいとクリックしたところが・・・・ちょうど今から4年前の記録で、、
俺って一体何をしていたんだろうなぁっと、
この頃から気がついていたのではないんじゃないか、
と、小一時間、
自問自答。
たぶん、気がついていたとは思うんだけど、
そのまま進むしか道がなくて、
気がついたら崖に突撃、
そのまま崖下に落下。
・・・なんだかなぁ。
今は崖からはい上がっている所。
人生、山あり、谷あり、っていうけど。
今は谷というか崖ですがな。。
身動きが取れません。
こちらは、もう、なんとか動きたいんだけどね。。。
悔しいなぁ。悔しいよ。
ようやく、最低限ネットにつながる環境まで復帰しました。
謎のパソコン故障に続き、Cocoon まで壊れてしまって、まったくやってられません・・・orz
まぁ、のんびり環境の再構築といきます。。┐(´ー`)┌
メイン PC の復旧が大体一段落ついたかと思えば、
今度は XBOX360 が壊れてくれたようです。。。
そういえば、某ゲーム中にポリゴンが増えると処理落ちしてフリーズしてたのですが・・・、今度はワイヤレス・ヘッドセットだけでなく、ワイヤレス・コントローラの調子もおかしくなり(本体側で認識しなくなって)、サポートセンターに電話したところ、本体の故障とのことで、明日、修理送りとなりましたorz...
元祖 HDD プレイヤーの CoCoon(コクーン) も故障して観られないわ、ゲーム機は壊れるは、ついでに肥料の上からコンクリに落下(約2m)して膝と腰を痛めるやら、メイン PC は壊れるは(ちなみに仮想 PC 環境のデータは飛びました。。。ああ、これまでの検証の成果が・・・泣)、こう何か私が行動を起こそうとすると、何かトラブルが起こるというのが、ここ1ヶ月ほど続いています。。はぁ。踏んだり蹴ったり・・・・。
まぁ、あわてずボチボチやってきます。
今日は開き直って筋トレー。
う~ん、今更だが『ミント』か『ヴァニラ』か。
リアル志向で『ミント』かなぁ。
悩む。
(何を書いているのだか。)
moveの宣伝に出ている後ろの戦闘機は何だろう。
一瞬F-16かなと思ったが、
アクロバットしてるところみるとT-4っぽいし、でも、細部がちがうしな・・・、
でも着陸シーンを見ると、なんかF-14っぽいし。。。
なんか、どうでもいい事に気になる今日この頃。
CMの詳細 (www.daihatsu.co.jp)
(吹っ飛んだ8000曲の音楽データをHDDに再投入中・・・)
(バックアップは大切です。。。)
遂に自宅に光回線が開通しました・・・。光プレミアム。
う~ん、思えば長かった・・・。富山県滑川市にも、4年ほど前に開通するように依頼要望を出してようやく、、という所です。滑川市の場合、国道八号線沿いに優先的に工事が始まっているらしいそうです(と、営業担当の人が話してました)。この開通時期に申し込む人は色々と質問をふっかけてくるそうなので、屋内配線・CTU(回線終端端末)設定担当の方は大変だ、と言われてました。乙かれさまです。。。
ping や traceroute を一通りテストして、一応快適になったことを確認。ついでに"光でんわ"とやらにも加入。一応、電話としては普通なので問題ないようだ(VoIP電話もさり気なく日常にとけ込んでいるのに時代の進化を感じる・・・)。
設定ソフトに付属していた速度測定のサイトで下り速度を測ると・・・27 Mbps 程度ですが・・・、ま、ベストエフォート(最大100Mbpsであり、100Mbps保証ではない)だし混雑する時間帯だから? CATV 回線よりは早いので、まぁよしとしようかな。。。頃合いを見て、他のプロバイダに移るとするか・・・。
某作品から気になる言葉、思いついた言葉などの個人的なメモ。
「やりたいから、やってる」ってな。
いい加減、しっかりしろ。
好きな仕事ではじめたのに・・・
わかってる、けど、悔しかった。
振り返ると、そこには、いや、ここには何もなかった。
資格は得た。しかし、試練は果てしなく厳しい。
みえないかべ
遠くから見ているだけじゃいやなんです
「Web2.0 なんて飾りだよ・・・偉い人にはそれがわからんのです」
極めて私事的な思考形態及び行動状況を第三者にウェブログ(通称:ブログ、blog = Weblog)を公開する事に何の意味があるのか、いや、意味を求めることに意味を求める事が意味が無い行為である事は昔のギリシャの哲学者達や近代哲学の巨匠達が人生を棒に振って捧げて追求されても、尚未だ結論が出ていない現状であるので、ハルヒ神キター(ハルヒ公式/解説/ドレンド)などと訳の分からない事を書いている私(ここの作者=前佛)も同様に、まぁごくごく普通の人生を送っていたはずであったが、約3年前に"想定外"の事態が発生してしまった。まるでワールドカップ柳沢の「急にボールが来たので」のような事態である。が、まぁ、事態は収束し、この時系列平面上では通常空間は安定しつつある。というわけで、誰が読むか知らないが、自分のアホな思考回路を記録する手法として、ここに電子文章として記録を残す。(←前置きが長いよ)
今年を簡単にまとめると 『 不 確 定 要 素 』 の多すぎる年だ、と言える。間違いない。どのような状況だったか、については、google トレンドのグラフと同様に私の精神状況も推移した。
たぶん、私の近況を知っている方はこのグラフの推移をみると「あー」と納得する事間違いないだろう。3年前に発生した想定外の状況により沈んていた状況が今年の春突然改善され、あとはグラフのように現在は安定した推移を辿る。
それでだ(何が?)、不確定要素によって今年は振り回されすぎた。正直自分の知らない所で色々と物事が推移していったようだった。なんだかなー。旧日本海軍がミッドウェイ開戦で決定的な失敗を犯した点がある。それは情報力を軽視しすぎた事。日本の暗号電信はアメリカに筒抜け、このミッドウェイ作戦において、日本は戦う前から既に負けていたのだ。これは教訓。情報を適切に判断し、時に、風林火山の如く、臨機応変に対応しなくてはいけない。そう感じさせられる年でもあったし、おそらく来年もそうであろう。
今年(2006年)および来年(2007年)は人生において大きな転機になるだろう。間違いない、と確信している。そして、今回、大きな選択肢に私はたたされているわけではあるが、私は決して妥協しない決意でいる。SaaS(Software as a Service) ではないが、人生には譲れない時が今まさにこの時だと思うからだ。人間はよく、物事をやって後悔する事と、やらなくて後悔するほうがどっちがいいか、という例えを用いる。どちらが良い? もちろん、前者であろう。
今年を振り返ると、来年に向けて、背水の陣というか何というか、不退転の決意で望まなければ、たぶん、死ぬときに後悔すると思う。なぜ、こだわるのか? それは、一度、人生の失敗フラグを立ててしまったから。望むべくしてそうなった結果であれば納得も出来るのだが、今思い出しても、あの時の失敗は自分の人生最大の失敗であり、唯一の後悔。
その失敗というのは、約10年前、以降行は自分向け文章なので分かる人は分かるかもしれないけど、分からない人は分からないと思う、それでいい。で、10年前の失敗というのは、事態の推移を見守るだけで何もしなかった、という事。具体的には、卒論研究の配属先での問題だ。とある希望する研究室の定員があふれているという。それは、私がどうしても入りたいと思っていた所。当時の教官は、卒業研究では私に違う研究室に配属しろという、なぜなら、そのほうが視野が広がるから、とのことで。しかし、その研究室は自分にとっては畑違いであり(同じ系列の"電気"に属する研究室であったが、私が希望したのは"情報工学"であり"電子回路"のほうではなかった)
で、私は軽い気持ちで、その時は、その安易な決断とも言えない単なる譲歩であり妥協により、致命的なダメージを受け、失意の1年間を過ごすことになるとは考えてもいなかった。希望ではなく専門でもない研究室への配属は、正直、情熱という名のモチベーションを私から奪っていった。何もやるきが起きなかった。希望の研究室に配属にならなかったことで、ここまでダメージを受けるとは考えもしていなかった。研究には気が入らず、大学編入試験への集中力も失っていた。でも、その時は既に選択に失敗したな、と、かなり意欲を削がれた。結果として大学編入試験は落ち、いや、これは自分の実力がなかっただけだ、責任転嫁しない。とにかく、迂闊な選択により、やるせない1年を過ごすことになった。私は表面上は普通にバカを装っていたので、誰も気がつかなかったろう、と思いたい。
つい最近になって知ったことだが、研究室の配属問題で呼ばれたのは私だけだった。私であれば譲歩するだろうと読んだのだろう。その読みは正しかった。その教官は翌年違う所に転職となり、その後、今日に至るまで会う機会はない。今となってはその真意は不明ではあるが、状況の推移を見守り何もしなかったというのが失敗だったと猛省している。人生における、確実な分岐点になった。
「何もしなかった」事が「不本意な自分」を作った。こんな自分=私を私自身が許すことが出来なかったし、それは今もまだ許せない。過去に拘るつもりは微塵はない、が、現状、私の置かれている状況というのが、偶然にも時間平面上の10年前に存在した私という存在と、今現在の存在が重複してしまっているようで、正直歯がゆい。一時の気の迷いというのもあったであろう。
ここで、戦争という状況を仮定してみよう。当初置かれていた状況や情報からは、戦線を広範囲に展開し、敵領域に積極的に攻撃することを目標としていたかもしれない。だが、時が変わり、戦略的に補給が無い、武器弾薬も無い、相手の戦力は当方を遙かに上回るという戦況があるとしよう。この場合は、戦略上撤退して、防衛ラインを後退しても戦力の温存を図るのが論理的であろう。だが、当初の戦略を余りにも重視しすぎて、前線の状況を無視して戦況を進める事は、戦略的には致命的になりかねない。目的が手段になってしまうという状況だ。撤退すべきと思ったら、朝令暮改であってもよいではないのではないか。しかし、世の中というのは往々にして自分より「上位」の存在に妥協するケースが多いのではないのだろうか。そういえば、"dog year"という言葉、つまり、時代の進歩は格段に飛躍しており、かつての1年間の時間の経過が、今では3ヶ月程度になってしまった、というのは過去の事なのだろうか?今も"dog year"というのは現在進行形で推移しているのであり、それに気がつかないというのは過去という名の亡霊に取り憑かれているからだろうか、などと考えてみたり。ま、別に私は焦ってはいないし、死に急いでいるつもりもない。
変なプライドや拘りなんか必要ではない、と、私は思ってる。そして、そうあるべき、そうすべきだ、というのが今年考えに考え抜いた結論のうちの1つである。自分が何もしなかった事が"後悔"などという"last regret"なんてものを造ってしまった。これは私の、自分の責任だ。私はもう、同じ過ちを二度と繰り返したくもない。勿論、人の意見も聴くけどけど、最後に決めるのは自分だもの。あとは、出来ることをやって、前に進むしかない。
私は、私が思う『 お も し ろ い 』人生を送りたいと思っている。『 お も し ろ い 』人生を実現するためには、今年私が置かれた、今私が置かれる、来年私が置かれるであろう・存在するであろう状況において、自分が妥協するという選択肢はあり得ない。と、今私は思っている。なんて自分勝手な奴だ、と私自身この点に対しては辟易している。この世界はろくでもないだと? 私はそうは思わない。世界がどうであれ、自分が自分の事を自分の意志で決定して何が悪い。私はつまるところ、何もしない妥協によって"おもしろくない世界"に住むことになるであろう自分という存在は許せない。
そんな中、不確定要素がいくつかも出てきて、正直困惑する所もあったのだが、とにかく、来年は私が自分で決断を下し、私の、私自身が望む世界に作り替えていくことが来年の課題であろうと確信している。例え不確定要素が存在しようとしても、私は"last regret"などという感情は、今抱えている1つで十分だ。last は last であって、それは update される last なぞ、私は望まないし、そんな人生なんてつまらないと思う。
来年、願わくは、私の望む 『 お も し ろ い 』 世界が実現する事を。
そして、
世界が平和になりますように。
全ての子供達に未来を。
ニコニコ動画 (nicovideo.jp) の会員登録数が先週末に 500 万人を突破したという。
- ニコニコニュース‐ID登録者数が500万人を突破しました
ニコ動とも称されるそのサービスは、経験者であれば分かると思うのだが、それはまるで実況板でのテレビ中継にも似た不思議な時間を超えた空間の共有という同期性をネットを通じて楽しめるふいんき(何故か変換がry なのである。
別に誰かが何か宣伝をしたわけでもなければ、メディアで大きく取り上げられてもいないニコニコ動画という日本発のサービスが、ここまで短期間に人を集めることが出来たというのは凄いのではないだろうか。というか、すごいね。
というわけで、いかにもニコニコっぽい動画を一つ貼っておきますねww
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